生成AIが吐き出した「怠惰の渇望者」という二つ名によって自己認識が一段深まった


目次

まえがき

夏休み(9月中旬)にJETRO(日本貿易振興機構)のプログラムでシリコンバレーに行ってきたのですが、その繋がりで生成AIを利用したワークショップに参加し、いくつかのニックネームを手に入れました。

その由来や内容を考え始めたら解釈が止まらなくなったので忘れる前に形に残します。

ワークショップの概要

僕が行ったのは、生成AIを利用しながら参加者同士で自己紹介と互いへの名付け(ニックネーム作り)をするというワークショップです。

その中で、作っていたプロンプトのお試しに僕の自己紹介文を入力した結果生まれた「怠惰の渇望者」という二つ名が僕にぶっ刺さりました。

また、出てきたニックネーム案の「省エネ思考(嗜好|志向)のニッチクリエイター」というのも、字面が良すぎて非常に気に入っています。

ワークショップの目的は、生成AIによるフィクションの生成物からノンフィクションを生み出すことにあります。このニックネームが自身が目標としたい「未来のフィクションである自分」を表すものだと進行上の都合が良かったのですが、現状の僕をこれ以上適切に表す名前もそうなく、また甚く気に入ってしまったのもあって、限界まで解釈して掘り下げてみることにしました。

この記事では①Generateしたものを解釈し、②Shareまでしたいと思います。Shareというかその練習くらいの位置付けです。Shareの次の段階である③Uniteでは何をするのかまだ決まっていません。

由来

まずは「怠惰の渇望者」の由来です。

僕は面倒・嫌・疲れた・堪えられない・やりたくない、といった負の感情に対する許容レベルが非常に低いです。また、身体的に筋肉も体力もないので物理的な負荷に対する許容レベルも低いです。

努力は嫌いで継続もできなくて長期的な目標に対して行動を起こせず期限はいつもギリギリですが、やりたくないことをやらずに済ませるために、頑張らないために全力で頭を使って頑張るというのだけができるのが僕です。

よくテスト前に現実逃避工作とか現実逃避データ整理とかをしてしまいます。

努力ではなく創意工夫によって面倒を解決することが好きで、打ち込みすぎた結果、趣味にまつわるニッチな特許を4件取得するに至りました。

といった雰囲気の文章を入力して出てきた「怠惰の渇望者」について、出力してくれたAI自身に由来を解釈して説明して貰いました。(実際はもっと長文の自己紹介文から生成しています)

「怠惰の渇望者」というニックネームは、非常に魅力的で、多面的な解釈が可能です。
まず、「怠惰」とは通常、自身が身を任せて何もしない、または必要な作業を遅延または避ける状態を指します。これはこの人物が「基本的に面倒くさがりで継続も努力もできない」という性質を持つことからストレートに派生しています。通常、怠惰は否定的な性格の一面と考えられますが、この人物の場合はそれが逆手に取られ、愛すべき特徴、もしくはアイデンティティと化しています。 そして、「渇望者」という部分は、欠点ともいえる「怠惰」をそのまま受け入れ、もっとも重要な要素、すなわち「頑張らないために頭を使うことだけは頑張れる」という特性を反映しています。

この人物は「怠惰」に対して「渇望」を抱いており、それが効率的な解決策を見つけ出す強い動機付けとなっています。そのため、「渇望者」という単語は、人物の欲望とその達成手段、すなわち「楽して生きる」方法を見つけ出すことへの強い意志や姿勢を象徴しています。 総じて、「怠惰の渇望者」はこの人物の生き方や思考パターン、それに対する独特の誠実さを巧みに表 示しています。また、そのユニークなアプローチは、他の人々に対して新たな視点で問題解決を考えるきっかけを提供し、共感や興味を引きつけるでしょう。

彼の矛盾した性格は、頑張りたくない一方で、知的な努力を惜しまないという側面を指します。彼は面倒くさがりで、継続することや努力をすることにはあまり興味がありません。しかし、この特性が、彼の知的好奇心や創造性を引き出すきっかけとなっています。

例えば、特許取得のアイデアを生み出す際には、努力を嫌がりながらも、自らの頭を使って革新的なアイデアを生み出すという状況があります。このように、彼の矛盾した性格は、頑張りたくないという欲求と、知的な好奇心や創造性を追求する欲求との間で、彼の行動を動かしている要素の一つと言えます。

凄く褒められた気分です。

面接で短所を長所に言い換えるやつの究極系みたいですね。

頑張らないために頑張る、努力はできないけど思考は止めない、そういった矛盾を読み取ったのが、「怠惰の渇望者」ということのようです。

第一印象

僕はこれまで「頑張らないために頑張る」という表現をしていたのですが、矛盾の形が気持ち悪いというか、実態を表しきれていない気がして不満でした。

  • 受験を頑張らずに良い大学へ進学したいのであれば、定期試験で頑張って推薦を得るのが結果的に一番頑張らずに済む。しかしそんなことはしていないしできもしない。
  • PCに対する情報の入力を効率化したいのであれば、日本人の扱うテキストに合わせたキーのリマップに適応し、マウスを使わずキーボードショートカットを極めて操作の殆どを定位置で行えるようにすれば良い。しかしそこまでやれない。変換・無変換キーでIMEオンオフ止まり。

「怠惰の渇望者」というネーミングでは、怠惰に対する渇望が行動原理であるために、伴う行動も怠惰ベースのものが自然と選択されるということが読み取れて本当にしっくり来ました。

怠惰の定義

一口に怠惰と言っても表す意味が多すぎます。僕が渇望する怠惰が何なのか、生成AIに聞きながら考えてみました。

一般的な怠惰

一般的に、「怠惰」とは、物事を遂行するための活動や労力を惜しんで、行動を起こさないこと、あるいは行動を起こす意欲が低い状態を指します。しばしば怠けることや、必要な作業や責任を避けたがる姿勢と関連して使用されます。人が怠惰であるとされる場合、その人はしばしば物事に対して意欲が低く、エネルギーや熱意を示さず、時には自分の義務や必要な努力を怠ると見なされるかもしれません。

グータラと怠けることですね。

僕はグータラと怠けるのは好きですが、怠けることを目標に生きているわけではありません。やりたくないことは可能な限りやらずに、やりたいことだけをやって生きていきたいだけです。

マイペースとか我儘に分類されると思います。
そういった意味では、僕はこの怠惰でありたいわけではありません。

出来るものなのであれば、勤勉に、誠実に、エネルギッシュに、情熱と根性を以って努力して自分を磨きながら生きていきたいと思っています。それが格好いい生き方だと思います。

しかし、それは無理であろうことを察しているので、限られたエネルギーを有効に活用して生きていくというのが現状の理想の生き方です。

この怠惰は求めるものとは違うようです。

キリスト教における怠惰

七つの大罪(七つの罪源)における怠惰が主です。

生成AIに聞いてみます。

キリスト教において、「怠惰」(ラテン語で「acedia」)は七つの大罪の一つに数えられており、その精神的な側面が重視されます。キリスト教の伝統では、怠惰は単に肉体的な怠け心だけでなく、霊的な怠慢、つまり神への愛や霊的成長への無関心や熱意の欠如を指すことが多いです。

以下にキリスト教における怠惰の解釈についてのいくつかの例を列挙します:

  1. 霊的な無関心:信者が信仰生活に積極的ではなく、祈り、瞑想、礼拝、または他の宗教的実践に参加することを怠ること。
  2. 使命の放棄:神に仕えたり、隣人を助けたりするというキリスト教徒の使命を放棄すること。怠惰な人は、与えられた才能を用いて神の栄光を現すことを怠ったり、善行を行うチャンスを逃すことがあります。
  3. 懈怠(けだい)または沈滞:精神的な怠慢は、進歩や変化への抵抗感から、個人が霊的成長を遂げることを阻むことも含まれます。
  4. 慰慰主義(コンフォーティズム):自己満足の追求や、快適な生活を享受することばかりに注力し、自己犠牲や奉仕の精神を忘れる状態。
  5. 無気力:仕事、家庭生活、社会的責任などの日常的な義務において、何も行動を起こさないこと。このような無気力は、信仰心が低下していることを示すことがあります。

これらの例は、怠惰が単なる行動の欠如を超え、信者が神の意志を行い、積極的に信仰を生きることを妨げる、内的な状態として考えられることを示しています。キリスト教徒は、怠惰を克服し、信仰の実践において活動的であるよう呼びかけられています。

基本的には信仰に対する怠慢を表していますね。

懈怠という概念は初めて知りました。後で出てくる心理的慣性に通ずるものがあります。

Sloth, Acedia, Lazinessの違い

ここで、英語でのsloth、ラテン語でのacediaが七つの大罪(七つの罪源)における怠惰を表しているらしく、一般的な怠惰を表すlazinessも一緒にニュアンスの違いを教えてもらいます。

"sloth," "acedia," と "laziness" はいずれも怠惰を表す単語ですが、それぞれに異なるニュアンスや使用される文脈があります。
  1. Sloth:
    • 一般的には「怠ける」「怠惰」という意味で使用されますが、特にキリスト教の文脈で、七つの大罪の一つとして「怠惰」を指す場合に使われます。
    • この言葉には単なる怠け心以上に、道徳的または霊的怠慢を含んだ、より深刻な意味合いがあることが多いです。
  2. Acedia:
    • 元々はギリシャ語で、中世の宗教文脈で「心の無関心や、精神的な無気力」を指す用語として使われるようになりました。この言葉は特に、宗教的慣行や霊的義務に対する関心の喪失を意味する場合に用いられます。
    • 現在でも、"acedia"は特に霊性と関連して用いられ、内面的な抵抗、精神的な不安、あるいは人生と信仰の抱負に対するケアの欠如といった意味合いで使われます。
  3. Laziness:
    • "laziness" はもっと広く、一般的な怠けや遅延、引き延ばし、または動くことへの抵抗感に関連する振る舞いを指すために使われます。
    • この言葉は通常、宗教的なニュアンスも特定の重大な道徳的判断も含まず、単に人が物事をする意欲がないことを指すために用いられることが多いです。

総合すると、"sloth" と "acedia" には特に宗教的または精神的な重みがあり、"laziness" はより一般的な、心の状態や行動の傾向を指す言葉です。それぞれがけなげな行動を指摘する際の肯定的なものではありませんが、"sloth" と "acedia" は特に重要な倫理的または霊的な欠陥を示唆している点が異なります。

"sloth" と "acedia" は宗教的な意味を持つんですね。やはり"laziness"が一般的な怠惰ということなのでしょう。

プログラマーの三大美徳の怠惰

プログラマーの三大美徳(The Three Virtues of a Programmer)というものがあります。
怠惰(Laziness)、短気(Impatience)、傲慢(Hubris)の3つのことです。

この怠惰について解説してもらいます。

プログラマーの三大美徳とは、ラリー・ウォール(Perl言語の創作者)が彼の著書『プログラミングPerl』の中で述べた概念です。この中で彼は「怠惰」「短気」「傲慢」という3つの性質をプログラマーにとっての美徳であると述べています。

怠惰とは、プログラマーが多くの作業や単調な作業から避けて、より効率的な手法を追求する動機づけであると定義されます。具体的には、プログラマーとしての「怠惰」は次のような特性を持つと言えるでしょう。

  • 自動化: 怠惰なプログラマーは同じ作業を繰り返す代わりに、スクリプトやツールを作って作業を自動化することを好むでしょう。このため、効率が向上し、ミスの可能性も減少します。
  • 再利用: 既に存在するコードやライブラリを有効に活用し、車輪の再発明を避けたいと願うでしょう。これは開発プロセスを加速し、保守が容易なシステムを構築するのに寄与します。
  • 遅延: 本質的でない決定や作業をできるだけ先延ばしにし、最も重要な課題に注力することで、時間の無駄を省きます。

この怠惰は正しいコンテキストで理解する必要があります。長期的な視点を持ち、より少ない労力でより多くを成し遂げることを指すのであり、単に手を抜くことを美徳として讃えているのではありません。

ここでの怠惰というのは無気力にダラダラと怠けることではなく、消費エネルギーの総量を減らして楽ができるように効率的な考え方をするということです。

僕の思考の方向性における怠惰の説明としてこれを引用することがあったのですが、「これは単に効率的な思考方法であって、怠惰と全然関係ないのでは?」と思っていました。

これを実践している人は怠惰ではなく勤勉です。全然怠けてません。効率的になって浮いた時間は怠けるんじゃなくて他の仕事やってますよね。

これは僕の勝手なイメージですが、
1時間で100の成果を出せていた状態を効率化し、40分で100の成果が出せるようになった結果、浮いた時間も使って1時間で120の成果を出すようになる。
というのがプログラマーの三大美徳における怠惰です。実際はチームとか会社全体に効果があるのでもっと成果が大きくなりそうですが、個人単位ではそういうものだと思います。

僕が目指す怠惰とは、勤勉でなくとも勤勉な人に匹敵する程度のパフォーマンスを発揮できることであり、ちょっとした創意工夫を以て叶えられるようなものです。
1時間10分で100の成果を出していた状態を効率化し、50分で100の成果が出るようになれば満足です。浮いた時間は休憩するか遊ぶかするので結局1時間掛かるのは変わりません。

やっていることは効率化で違いはないんですが、目的というかモチベーションが違います。

前者は「同じエネルギーでより多くの成果を出す」、後者は「同じ成果を出すなら疲れない方がいい」です。

プログラマーの三大美徳における「怠惰」と僕が目指す「怠惰」は解釈違いです。

怠惰=Inertia

これは二つ名のバリエーションを増やそうと試行錯誤している際に出てきたハルシネーションによって見つけたものです。

過去の偉人や有名人と関連付けた二つ名を出力している最中でした。

「ニュートンの怠惰な発明家」
  • ニュートンの万有引力の法則や光の分光学など、偉大な発見をした一方で、「怠惰なる者の法」を提唱したことから、その矛盾した側面を表現しています。

怠惰なる者の法!?
こんな法則は聞いたことがありません。聞き返しました。

「怠惰なる者の法(Newton's Law of Inertia)」は、アイザック・ニュートンの物理学における運動の法則の一つで、物体が静止状態または等速直線運動を維持し続ける性質を指します。この法則は、運動の継続における物体の性質を示しています。

ニュートンはこの法則を「運動の第一法則」とも呼び、物体に働く力がゼロであるか、または力の合力がゼロである場合、物体は静止状態で静止し続け、運動状態で等速直線運動を維持し続けると述べました。要するに、物体は外力の影響を受けるまで、その状態(静止または等速直線運動)を維持しようとする性質があるということです。

この法則は、物体の運動状態が変化するには外部から力が加わる必要があるという原理を示しており、また、その運動状態を保持する性質をもたらすものとして知られています。

Newton's Law of Inertiaとは慣性の法則(運動の第一法則)のことです。

つまり、Inertiaが「怠惰なる者」に訳されたのだと知ることができました。

ここでのInertiaは慣性と訳されるべきであり明らかな誤訳なのですが、日本語における慣性とInertiaが持つ意味の範囲に違いがあるのではないかと思い、調べてみたところその通りでした。

まとめてもらうとこうなります。

"Inertia"という言葉が持つ意味やコンテキストには以下のようなものがあります:
  1. 物理学における慣性: 物体が外部からの力が働かない限り、その静止状態または直線運動状態を維持しようとする性質。アイザック・ニュートンが定めた運動の第一法則、すなわち慣性の法則として知られています。
  2. 運動の継続性: 物体が進行方向に沿って運動を続ける傾向にあること。これは転がるボールが止められない限り転がり続けるという事象を説明するのに使われます。
  3. 一般的な抵抗: 人や組織が新しいアイデア、変化、または行動に対して抵抗すること。変わることの難しさやそれに対する心理的な抵抗を表す場合に使用されます。
  4. 感情または行動の停滞: 感情的、精神的、行動的な停滞を指す際にも使われ、進歩や変更をなかなか起こせない状態を表します。

要するに、inertiaという言葉には、何かが現状の状態を維持し続ける傾向を表すという共通のニュアンスがあります。物理学の領域から日常生活や心理学の領域にまで広がる概念です。

「Inertia」は物理学だけでなく、人間の感情や行動における変化に対する抵抗の意味を持っていました。

そしてこの、変化しない・現状を維持し続ける傾向というのがまさしく僕が渇望する怠惰です。

次の章に持ち越します。

プチ反省

最初に「怠惰を意味する英単語を可能な限り列挙し各項目について説明してもらう」というのが一番早かったことに後から気づきました。

説明してもらったもの
怠惰を意味する英単語としては、以下のようなものがあります:
  1. Laziness: 一般的な怠惰さややる気のなさを表す言葉です。
  2. Indolence: エネルギーや努力を避ける傾向を指し、しばしば能力があるにも関わらず活動しないさまを表します。
  3. Sloth: 重い怠惰さや動かないことを強調し、動物のナマケモノが少ないエネルギーで生活することから来ています。
  4. Inactivity: 何も行動していない、または活動が非常に少ない状態を指します。
  5. Inertia: 物理学で物体がその現在の状態を維持しようとする性質を指しますが、怠惰の文脈では変化や動きへの抵抗を意味します。
  6. Slackness: 弛緩した状態や緊張感の欠如を意味し、比喩的に使われると怠けることを指します。
  7. Lethargy: 強い無気力や活動の欠如を表し、病気や疲れから来る怠惰を指すこともあります。
  8. Idleness: 何もしない状態、特に働いていない、仕事をしていないという意味合いがあります。
  9. Sluggishness: 遅い動きや反応を示すことから、精神的・肉体的な怠けを表す際に用います。
  10. Torpor: 体や精神が一時的に動かない、または非常に低い活動状態にあることを意味します。
  11. Slothfulness: 「Sloth」と同義で、深い怠惰や無活動を指し、しばしば否定的な意味合いを持ちます。
  12. Shiftlessness: 目的がなく、意志力や決断力が欠けているさまを指す言葉です。
  13. Apathy: 何に対しても関心や情熱がない状態、無感動を表します。
  14. Languor: 疲労やリラックスした状態を指しますが、能動性の欠如をも意味することがあります。
  15. Dormancy: 生物が一時的に成長や活動を停止することを指しますが、比喩的には何もしていない、または非活動の状態を指すことがあります。

思ったよりたくさん出てきましたし、ちゃっかり”Inertia”が怠惰の文脈における意味の解説付きで登場しています。

最初にやっておくべきでした。

渇望する怠惰とはInertiaだった

結論はこうなのですが、どうしてこの考えに至ったのかを書いていきます。

心理的慣性とは

まずは心理的な意味でのInertiaについて説明してもらいましょう。

心理的な意味での「Inertia」(慣性)は、ある心理状態や感情、行動パターンを変えることへの抵抗を指します。人が新しい行動を取るには、現状を変える十分な動機やエネルギーが必要であり、しばしば、現状維持の方が容易であるために、変化することを躊躇する傾向があります。

この心理的慣性は、以下のようなさまざまな形で現れることがあります。

  1. 変化への抵抗: 新しい環境、ルーティン、行動に適応するのを避けたいという願望です。これは、現状が快適であり、未知の変化がリスクを伴うと知覚されるために起こることが多いです。
  2. 決断の遅延: 決断を下すことの難しさや、その決定を行動に移すための遅れです。これはしばしば、恐怖、不安、不確実性感から生じます。
  3. ルーティンへの固執: 慣れ親しんだ習慣や日常ルーティンに固執することです。新しい習慣を作り出すことはエネルギーが必要であり、人は長期にわたって維持してきた行動を変えるために必要な努力を避けがちです。
  4. 避けの行動: 新しい体験や挑戦に向き合うのを避け、不安やストレスから逃れようとする行動です。その結果として、成長の機会が失われる可能性もあります。
  5. 感情の慣性: 特定の感情状態に長く留まること、例えば、悲しみや怒りなどから抜け出せないことです。これは、対応する思考パターンや信念が固定化しており、それらを変えるための意識的な努力や洞察が欠如しているために起こることがあります。

心理的慣性は心理療法、特に認知行動療法のコンテキストで特に重要です。それは療法がしばしば人々に彼らの思考、感情、行動パターンを認識しそれらを積極的に変化させることを促すからです。そのような療法的介入を通じて、心理的慣性を克服し、より適応的で健康的な心理的状態に向かうことが可能となります。

この場合、Inertiaは心理的慣性と訳されるようです。
人間の心理にも慣性の法則があるんですね。

読めば読むほど思い当たる節しかありません。

僕の特定分野に対するこだわりの強さとは、そのまま慣性の強さです。

物を捨てるという行為が嫌すぎて購入前に調査しすぎる性質も、一度気に入ったものは何年も使い続けてしまうのも、捨てるという行為が慣性に抗う行為であるために全力で避けようとしていることで納得ができました。

この心理的慣性という概念によって僕が渇望する怠惰が定義されます。

一般的に怠惰とは怠けることであり、活動のためのエネルギーや情熱が欠如した状態を指します。

しかし、僕の場合は常に怠けているわけではありません。やりたいことだけはやっています。

中学時代、「宿題以外の勉強はしない」ということに味を占めてしまって以降、この”やりたくないことから逃げる””やりたいことだけやる”というのは僕の人生で習慣化している行為であり、その慣性は途轍もなく大きなものとなっています。

心理的慣性との戦い

AIによる要約および解説
この文章は、個人が感じている内なる抵抗―心理的慣性―を努力と関連つけて説明するものです。 著者によれば、努力は自己変革のために必要なエネルギーを生み出す行為ですが、彼は日々わずかに生まれるエネルギーを無駄遣いし、頑張ってもすぐに消耗してしまうと述べています。例えば、楽しみながらやることに夢中になり、徹夜をしてしまって体調を崩すことを、こうした行動の一例として挙げています。 加えて、外部からの緊急性や誘惑といった強い刺激がないと、彼は自然と現状を維持しようとする慣性に従ってしまうことを認めています。これは先延ばしや、一時の熱中後にアイデアに手を付けなくなる傾向、さらには筋トレや英語学習のような継続を必要とする活動を続けられないことにも現れています。 負の慣性はそこまで根深いものとなり、負け続けること自体が一種の習慣になってしまっていると著者は感じています。

著者はまた、自身の心理的慣性が小惑星のように巨大で、無意識のうちにその流れに身を任せていると説明しています。彼は周囲の人々が比べ物にならないほどの努力をしている状況を目の当たりにしながら、自身は自分の努力を変革への加速として実感することができないと感じています。

要約すると、この文章は努力を通じた変化を望んでいるが、心理的慣性に阻まれ、結果的に現状維持を選んでしまう個人の心の葛藤を描いています。周囲には成功と進歩を体現する人々がおり、彼はその中で自己の停滞を痛感しているのです。

僕にとっての努力とは、自分を変化させることです。膨大な慣性でもって等速直線運動(or静止)を続ける自己に対して加速度を生じさせる行為です。莫大な出力が必要であり、相応のエネルギーを消費します。

日々生まれているであろう僅かばかりのエネルギーは、やりたいことをやるのに浪費してしまって残りません。むしろ急激な放出による勢いでマイナスになっているまであります。始めたら楽しくなっちゃって徹夜して体調不良なんてその代表例です。

期限がギリギリだとか、目の前に垂涎ものの餌がぶら下がっているだとか、距離の何乗かに反比例で効いてくるような外力がはたらかない限り、ひたすら現状を維持し続けてしまいます。

期限当日になってようやく始めるような先延ばし癖や、徹底的に調べたり考えたりした後はそのまま興味を失って結局作らない緊急性の低いアイデア、日々の継続が必要である英語の勉強や筋トレが3日どころか30分も続かないのも全て、この心理的慣性に僕が負け続けているということです。

この負け続けているということすら慣性の一部になっています。たちの悪い負け癖です。

僕の主観では、この心理的慣性の大きさは小惑星くらいになっているため、もはや抗おうと思うことすらありません。近くにある天体の重力で軌道を捻じ曲げられながら、ひたすら慣性に身を任せた運動を続けているのが僕です。姿勢は膝を抱えた体育座りだと思います。

しかも、僕の周囲にはパワーウェイトレシオが化け物じみている航空機やロケットが飛び交っています。努力による加速は諦めるしかありません。

矛盾の解消

僕の怠惰とは、これまでの人生で肥大化した慣性に身を任せ、これまでの自分の生き方を変えず、これまでと同様に慣性に身を任せることを肯定することです。

つまり、これまで通りの生き方を敢えて・積極的に続けることであり、やることは変わらず努力の放棄と趣味への注力です。

一般的な怠惰では活発さが指標になりますが、僕の怠惰は”変化をしないこと”です。

これによって、僕の怠惰に由来する行動の説明がつき、矛盾が解消されます。

まず、やりたくないことは可能な限り先送りにして避けていきます。通常営業です。

趣味にまつわるものは慣性に従った行動であるため僕にとっては自然です。”努力”をするときよりかは活発になります。

簡単にまとめると、「好きなことしかやりたくない」そして「好きなことは趣味」です。

そして、一番矛盾している要素だった「怠惰」と「頑張らないために頑張る、努力はできないけど思考は止めない」の両立についての解釈に入ります。

「頑張らないために頑張る」ことは、自分でも思い当たるので趣味です。後述します。

そして、「努力はできないけど思考は止めない」は、単に僕の習慣であり慣性のはたらきによるものです。

布団に入って就寝しようというときに、何か気になることがあると思考が止まらなくなって目が冴えて完徹の眠気にすら打ち勝って寝付くのに数時間掛かってしまうような現象にずっと悩まされていますが、5人家族でそんなのは僕だけなのでそういう習慣が定着しているのだと思っています。

最初の特許を思いついた7年前で既にそうだったので、僕の中での慣性の大きさについては考えたくもありません。

それはそれとして、シングルスレッドで単一のことをグルグルと考え続けるのは僕としても結構好きな行動ではあるので、考え込んでいる間に他のことができなくなるというデメリットを気にしなければ時間のある限り考え込むことができます。

よく風呂場で頭を洗っているときに考えてしまって、無意識のうちに流してから自分が今頭を濡らした段階なのか頭を洗って流した後なのか分からなくなり、結局2回目のシャンプーをしてから手のひらの感覚で2回目だなとガッカリすることが頻繁にあります。

僕がマルチタスクを大の苦手とする原因は、頭を使う時には1つの思考に没頭するのが習慣になっているからなのかもしれません。

趣味:身体拡張

「頑張らないために頑張る」の解釈です。

まず、慣性に安心して身を任せるためには、慣性に逆らうことになる要素を自分の周囲から排除する必要があります。これは、楽に生きるための効率化です。

しかし、楽に生きるためでも努力することはできません。上で例として挙げた英語の勉強とか筋トレがそうです。

できるのは趣味です。趣味であれば努力ではないからです。

これまでは、効率化が趣味だと考えていました。しかし、効率的である推薦のためのテスト勉強とか受験勉強とか資格の勉強は全く好きではないので趣味ではありません。

効率化が示す範囲と僕が好きなことの範囲が一致していなかったのが原因です。

この文章を書きながら僕が慣性によって生きているものとして行動を振り返ったとき、その効率化の手段の共通性から、しっくりくる趣味としての呼称が「身体拡張」であることに気がつきました。

頑張らないために頑張ることができるのは「拡張」のための行動であり、頑張らないためでも頑張ることができないのは「訓練・鍛錬・練習・発達・向上」みたいなものたちです。

メディア論におけるメディアの定義よりも狭く、僕だけに都合がいい条件となりますが、”使用者が努力せずとも使用可能なメディア”を用いた身体拡張が僕の趣味でした。

この条件にあてはまるメディアであれば、考えるのも探すのも作るのも全部好きですし、その過程で一般的には努力に分類されるであろう行為も厭いません。購入するためのアルバイト、というのは残念ながら無理でしたが。

単純に面倒な作業をしなくて済むようになるような道具の他に、意識的に覚えておく必要があったものや、都度状況に応じて判断する必要があったものを自動化することで、脳のリソースを節約するものも含みます。

慣性のイメージで言えば、自分の周りに便利な衛星を増やすようなものです。自分は努力する必要がなく、代わりにやってくれる衛星を増やしていく作業です。楽しいに決まっています。

究極の形は、趣味以外の全ての行動から自意識が不要になるような生活です。頭を使わずに生きていきたいです。文字通りの意味での不労所得で生きていきたいです。

拡張の事例

  • 特許の便利系道具はどれも簡単に使えるものです。努力や手間や根性で解決するべきものを、その物だけで一発解決できることを目指して考えました。
  • 7年使い続けているG700sは、努力(適応)しなくてもすぐ使える範囲で最大と思えるボタン数及び配置の多ボタンマウスであり、これよりボタンが多くても少なくても散らばっていても嫌なのは身体拡張の質が落ちるためです。
  • 最近作ったソフト系のものでは、ソシャゲのイベントで最も効率よくアイテムを収集するために、ステージごとのドロップ数と各アイテムの目標数から周回数を最適化するツールと、ソシャゲのスタミナを常時把握できるように、消費したタイミングでiOSショートカットに入力するだけで自動で現在の値が表示されるウィジェットがありますが、未知の言語を徹夜でひたすら調べ続けながらのコーディングは大変でした。
    • 言ってしまえばソシャゲをきっちりやるためだけのツールで、そもそもソシャゲなんて辞めてしまうのが最も効率的に生きていけますが、慣性がはたらいて辞めることができません。しかも、僕はこだわりが強いので、スタミナは一切無駄にせず最高効率で使い切りたいと思ってしまう性分です。厄介です。
    • 「こんなことができるツールがあれば絶対に楽になるだろう」という思いつきだけで(意味違うかもしれませんが)フロントエンドとバックエンドの開発を初心者の一発目でやることになりました。厄介でした。
    • 作りたいものの形が鮮明で、使用時のストレスの無さ(効率化の効果の大きさ)が分かりきっているからできたことです。作りたいものの形が鮮明でなかったり、完成しても操作が面倒くさいものになるようであれば絶対にやっていませんでした。それは努力になってしまいます。
    • 無料ツールだけで作れたのは本当に助かりました。macOSが入ってる端末を持っていないのもそうですが、開発者アカウントなんて手が出せないのでiOSアプリ開発が手段の候補に挙がらなくて良かったです。
    • 知らないうちにソフトウェア系の世界に足を踏み入れていましたが、プログラミングは僕の趣味ではありませんし、結局暗記しなければいけないことが多いのでいつまで経っても上達しません。コーディングは基本的に、書きたいコードの正しい綴りを毎回毎回検索するか、他の場所や過去のコードからひたすらコピペしては微修正みたいな方法しかとっていません。自分で書かなくてもよくなりたいです。AI併用コーディングには期待しかありません。
  • 拡張と努力の違いが分かりやすいのはスマブラのコントローラーの例です。
    • 使いやすいコントローラー探しとキーコンフィグの設定は「拡張」の範疇なのでいくらでも時間を掛けられます。
    • ホリのクラシックコントローラーが気に入っています。スティックの八角ガイドとボタンの人間工学的な配置が、プロコンよりもUIとして優れているように感じます。
    • RLジャンプZRZLシールドX掴みYジャンプという気持ち悪いコーコンフィグを愛用しています。時間を掛けて作り上げました。
    • コンボの練習はできません。「訓練・鍛錬・練習・発達・向上」の類のものだからです。
  • これはやってませんが絶対にこうなると確信している事例です。
    • 僕がデジタルで絵を描こうと環境構築をすることがあれば、机を作り、椅子を用意し、クリスタを入れて各種設定を行ってショートカットキーと左手デバイスを紐づけて、最も絵が描きやすいであろう環境を構築したら、構築したことに満足したあとに絵を描き始めません。
    • スマブラのコントローラーと同じ理由です。
    • 製図ならできますが絵は描けません。

おまけ-心理的慣性を克服する方法- by 生成AI

心理的慣性を克服する方法について出力してみました。

心理的慣性を克服するには、自己認識を高め、動機づけを強化し、持続可能な変化を促すための戦略が必要です。以下に具体的な手法をいくつか挙げます:
  1. 目標設定: 明確で達成可能な目標を設定することは、新しい行動パターンへと移行するための最初のステップです。スマートな目標(SMART:Specific, Measurable, Achievable, Relevant, Time-bound)が助けとなるでしょう。
  2. 小さなステップ: 大きな目標を小さな実行可能なステップに分けることで、変化がより達成しやすくなり、心理的慣性に打ち勝つことが容易になります。
  3. 自己監視: 日記をつけるなどして、現在の行動、感情、思考を監視し、自己認識を高めます。これは適切な時に適切な調整を行う手助けになります。
  4. 計画性: 「もし〜だったら、〜する」といった行動計画を立てることで、事前に障壁に対する対策を考え、「もしも」の状況に備えることが可能になります。
  5. ルーティンの変更: 日常のルーティンを変更することで、新しい習慣を作り出す土台が作られます。
  6. ポジティブな強化: 小さな成功を認識し、自分自身を褒めることで、ポジティブなフィードバックループを作り出し、新しい行動が正の結果に結びついていると感じることができます。
  7. 社会的サポート: 友人や家族といった社会的ネットワークを活用することで、変化を促す追加の動機づけが得られます。
  8. 意識的な反省: 日常の行動に疑問を投げかけ、既存の信念や習慣が現在の目的や価値観に合致しているかを考える時間を持つことが大切です。
  9. 感情の認知と処理: 変化に関連する恐れや不安を認め、それらの感情を理解し適切に対処することが重要です。
  10. プロフェッショナルな支援: 心理療法士やコーチからの専門的な支援や助言を求めることも一つの手です。

これらの戦略は個人に合わせてカスタマイズされるべきで、時として試行錯誤が必要になるかもしれません。持続的な努力と継続的な自己反省を通じて、心理的慣性を克服することは可能です。

そりゃあそう、以上の感想が出てきません。それができるのであれば苦労しないんですよね。

所感

  • 怠惰という言葉で自分を表す際の違和感を全て解消することができ、全てを文字で説明できるようになったのが非常に爽快です。
  • 考えながら書き始めたら、考えが止まらなくなって文量が増えに増えて大変でした。
  • しかも殆どが人力です。大変でした。
  • 箸の記事より書いたかもしれません。このブログぶっちぎりです。
  • 文章として出力するという前提があると、レンダリングで解像度を高めていく作業のように、思考の解像度を高めていく段階でかなりの時間が掛かります。
  • これをAI生成の力で高速化できると良いんですが、自分の考えは自分で考えた文章で表したいというこだわりによってなかなか難しいです。
  • AI生成で記事内で使う画像を作ってみたところ、動物の方のナマケモノか横になって眠そうな顔をしている男性の画像しか生成されず、自身のセンスに絶望して使うのを辞めました。いずれ再挑戦したいです。